2013年 08月 02日
やっぱりポントレーモリはいいところ! |
今私たちが住んでいる場所は、自然が豊かでこれまでも大好きだったのだけど、最近ますます好きになりつつあります。
ひとつは、家から1kmほどのところにあるスポーツジム。規模は小さいけれどジムや室内プール以外にも屋外プールやテニスコート、BARやピッツェリアもあります。このピッツェリア、町で一番人気の高いピッツェリアの系列店というのも嬉しい!
そしてこの隣にはこんな光景が!
最近お気に入りの朝の散歩コースとなっています。
そして、この前の週末はふとコムーネのサイトで見つけたスポットへお弁当を持って行ってきました。
GLI STRETTI DI GIAREDOとよばれる場所です。ここの見どころは、ゴルダーナ川によって長い年月をかけて作られた峡谷です。
コムーネのサイトよりGLI STRETTI DI GIAREDOの写真集に飛びます。
今回私たちは、その後予定もあったのでトレッキングはせず、手前の川べりに腰を下ろしてお弁当を食べて帰ってきました。家から車で数分というびっくりするような近さのところにこんな素敵な場所があったなんて!
車を手前に止めて少し歩きました。 この看板がでてきたら川はもうそこ!!ここまで車で行けるみたいです。
持って行った飲み物を川に入れて、足だけ川につけて日本風におにぎりや卵焼きなどのお弁当を食べました♪美味しかった~~!!
この時期になると、この町にはバカンスを過ごしにたくさんの人がやってきます。といってもここは有名な観光地というわけではないので、山の家を持っているファミリーが休暇を過ごしにきたり、親戚を訪ねたり、といった感じかな。
主人の祖父母もそうですが、戦前ポントレーモリの人々はロンドンへ渡る時期があったようで、今でもロンドンにはポントレーモリの人たちのコミュニティがあるのだとか。
そのつながりなのか、単に旅行者なのかは分からないけれど、ここ最近ロンドン訛りの英語をよく耳にします。
夏の休暇を過ごしにわざわざ人々が足を運ぶ場所に、こうして日常的に住むことができている私たちはとっても幸せだね、としみじみ主人と話しました。小さな町ゆえにもちろん不便なこともあるけど、でもやっぱりこの環境にかなうものはないなあ、と自画自賛できるこの生活に万歳!
***
話すことができなくなっても、脳のすぐ近くまで腫瘍におかされても、最後まで自分を見失わず、家族への思いやりを忘れなかった祖父が、7月の最後の日に静かに旅立ちました。
すぐに弟が連絡をくれました。最期を看取ったのは弟だったそうで、祖母や両親が来る前に先生と一緒に祖父の顔や体をきれいに拭いてくれたのだそうです。
電話をすると、そのときの様子を落ち着いた様子で詳しく話してくれました。それはわが弟とはいえ、頼もしくて誇らしい声でした。
もう、何か月も今日が最後かも、と覚悟をしていただけあって、祖母も母も泣き崩れたりせず落ち着いていたというのを聞いて安心しました。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ帰国しようか、という思いが頭をよぎったけれど、やめました。
すぐに葬儀場へ電報を送ると、父から一番最初にみなさんに電報を読ませてもらったよ、ありがとう、と連絡がありました。
この瞬間にそばにいれなかったことが何よりもつらい。だけど、2月に帰国して祖父母と過ごした2か月間は、私が思っていた以上に家族の絆を深めてくれていたのだと、そんな気がしました。
元気な赤ちゃんを産んで、早くひ孫の顔を見せに行かなくちゃ。
ずっと口から食べ物が食べれなかった祖父。
しばらくお仏壇には、祖父の好きな焼酎やごて焼き、鳥刺しや煮物が並ぶんだろうな。
4月にイタリアに戻ってから、週に2度はかけるようになった祖母への電話。どんなに忙しくてもこれだけは続けていこう。
ひとつは、家から1kmほどのところにあるスポーツジム。規模は小さいけれどジムや室内プール以外にも屋外プールやテニスコート、BARやピッツェリアもあります。このピッツェリア、町で一番人気の高いピッツェリアの系列店というのも嬉しい!
そしてこの隣にはこんな光景が!
そして、この前の週末はふとコムーネのサイトで見つけたスポットへお弁当を持って行ってきました。
GLI STRETTI DI GIAREDOとよばれる場所です。ここの見どころは、ゴルダーナ川によって長い年月をかけて作られた峡谷です。
コムーネのサイトよりGLI STRETTI DI GIAREDOの写真集に飛びます。
今回私たちは、その後予定もあったのでトレッキングはせず、手前の川べりに腰を下ろしてお弁当を食べて帰ってきました。家から車で数分というびっくりするような近さのところにこんな素敵な場所があったなんて!
車を手前に止めて少し歩きました。
この時期になると、この町にはバカンスを過ごしにたくさんの人がやってきます。といってもここは有名な観光地というわけではないので、山の家を持っているファミリーが休暇を過ごしにきたり、親戚を訪ねたり、といった感じかな。
主人の祖父母もそうですが、戦前ポントレーモリの人々はロンドンへ渡る時期があったようで、今でもロンドンにはポントレーモリの人たちのコミュニティがあるのだとか。
そのつながりなのか、単に旅行者なのかは分からないけれど、ここ最近ロンドン訛りの英語をよく耳にします。
夏の休暇を過ごしにわざわざ人々が足を運ぶ場所に、こうして日常的に住むことができている私たちはとっても幸せだね、としみじみ主人と話しました。小さな町ゆえにもちろん不便なこともあるけど、でもやっぱりこの環境にかなうものはないなあ、と自画自賛できるこの生活に万歳!
***
話すことができなくなっても、脳のすぐ近くまで腫瘍におかされても、最後まで自分を見失わず、家族への思いやりを忘れなかった祖父が、7月の最後の日に静かに旅立ちました。
すぐに弟が連絡をくれました。最期を看取ったのは弟だったそうで、祖母や両親が来る前に先生と一緒に祖父の顔や体をきれいに拭いてくれたのだそうです。
電話をすると、そのときの様子を落ち着いた様子で詳しく話してくれました。それはわが弟とはいえ、頼もしくて誇らしい声でした。
もう、何か月も今日が最後かも、と覚悟をしていただけあって、祖母も母も泣き崩れたりせず落ち着いていたというのを聞いて安心しました。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ帰国しようか、という思いが頭をよぎったけれど、やめました。
すぐに葬儀場へ電報を送ると、父から一番最初にみなさんに電報を読ませてもらったよ、ありがとう、と連絡がありました。
この瞬間にそばにいれなかったことが何よりもつらい。だけど、2月に帰国して祖父母と過ごした2か月間は、私が思っていた以上に家族の絆を深めてくれていたのだと、そんな気がしました。
元気な赤ちゃんを産んで、早くひ孫の顔を見せに行かなくちゃ。
ずっと口から食べ物が食べれなかった祖父。
しばらくお仏壇には、祖父の好きな焼酎やごて焼き、鳥刺しや煮物が並ぶんだろうな。
4月にイタリアに戻ってから、週に2度はかけるようになった祖母への電話。どんなに忙しくてもこれだけは続けていこう。
by cipolline
| 2013-08-02 18:36
| 日々のことーイタリア
|
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Comments(4)
Commented
at 2013-08-03 22:05
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented
by
cipolline at 2013-08-05 03:25
鍵コメ様
ありがとうございます。そういっていただけると、家族の私たちもとても嬉しいです。
そうなんですよね。メールやスカイプで、距離なんて感じないといったって、やっぱり距離はある・・・。海外で生活していて一番辛くて、これから先も心が痛み自分を責める部分でもあり続けるんだろうと思います。
でも、だからこそ家族との時間、やり取りがとっても大切でかけがえのないものだと感じられるようになったし、家族に対して胸を張れるような生き方をしようと思えるのだろうな。
ますますお腹にある新しい生命が奇跡だと感じています。
鍵コメさんとお会いできる日も、カウントダウンはじまったかな~?きっとすぐですよね?楽しみにしています!!
ありがとうございます。そういっていただけると、家族の私たちもとても嬉しいです。
そうなんですよね。メールやスカイプで、距離なんて感じないといったって、やっぱり距離はある・・・。海外で生活していて一番辛くて、これから先も心が痛み自分を責める部分でもあり続けるんだろうと思います。
でも、だからこそ家族との時間、やり取りがとっても大切でかけがえのないものだと感じられるようになったし、家族に対して胸を張れるような生き方をしようと思えるのだろうな。
ますますお腹にある新しい生命が奇跡だと感じています。
鍵コメさんとお会いできる日も、カウントダウンはじまったかな~?きっとすぐですよね?楽しみにしています!!
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at 2013-08-06 17:57
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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by
cipolline at 2013-08-07 19:20
鍵コメ様
ありがとう。コメントしずらい内容なのに、コメントを残してくれてとってもとっても嬉しかった!
祖父と、鹿児島ーイタリア間のとても遠かった距離が、今はいつでもそこにいてみていてくれているような気がして、ぐーんと近づいたように思うんだ。
祖父を失ったときに、失った悲しみと同じくらい、もしくはそれ以上にたくさんの楽しかったこと、祖父と私の二人しか知らない思い出なんかがあって、同居ではなかったのにこうして小さいころから祖父母と接させてくれた両親にも改めて感謝をしました。
鍵コメ様にはこれまでも祖父のこと、色々と悩みや想いを聞いてくれたりしてくれてとても支えられてたんだ。ありがとう。
ありがとう。コメントしずらい内容なのに、コメントを残してくれてとってもとっても嬉しかった!
祖父と、鹿児島ーイタリア間のとても遠かった距離が、今はいつでもそこにいてみていてくれているような気がして、ぐーんと近づいたように思うんだ。
祖父を失ったときに、失った悲しみと同じくらい、もしくはそれ以上にたくさんの楽しかったこと、祖父と私の二人しか知らない思い出なんかがあって、同居ではなかったのにこうして小さいころから祖父母と接させてくれた両親にも改めて感謝をしました。
鍵コメ様にはこれまでも祖父のこと、色々と悩みや想いを聞いてくれたりしてくれてとても支えられてたんだ。ありがとう。